活字とともに育った少年時代
「つなぐ印刷」の創業者である田中一郎は、幼い頃から紙と活字に囲まれた生活を送っていた。彼の父・田中正夫は地域の小さな印刷所で働き、職人として活字を拾い、紙に命を吹き込む仕事をしていた。田中家の食卓では、新聞や雑誌が常に広げられ、紙の匂いとインクの香りが日常の一部となっていた。
父が仕事に誇りを持ち、印刷という技術が情報や文化を人々へ伝える役割を果たしていることを語る姿は、幼い田中の心に深く刻まれていた。また、母・美智子は地元の図書館に勤めており、幼い頃から本を読む習慣が自然と身についていた。
印刷工場との出会い
幼少期の田中は、放課後になると父の働く印刷所へ遊びに行くのが日課だった。ガチャガチャと動く印刷機の音、活版を組む職人の真剣な表情、そして紙が次々と刷り上がる光景に、彼は強く心を惹かれていった。ある日、職人の手伝いで小さなチラシの印刷をさせてもらったことがある。その瞬間、自分の手で何かを生み出す楽しさを知り、印刷の世界に対する憧れが芽生えた。
「自分の作ったものが誰かの手に渡るって、すごいことだ。」
彼はまだ子供ながらに、印刷が人と人をつなぐ仕事であることを直感的に理解していた。
家族から受け継いだ価値観
田中家では「仕事は誠実に、手を抜かずにやること」という教えが徹底されていた。父は「印刷はただ紙に文字を載せるだけの仕事じゃない。その一枚一枚に思いが込められているんだ」と口癖のように言っていた。母もまた、「本を読むことは、世界を知ること」と田中に教え、彼の知的好奇心を刺激した。
このような環境の中で育った田中は、いつしか「人々の想いを形にする仕事」に強い関心を抱くようになり、将来は印刷に関わる仕事をしたいと自然に思うようになったのである。
次章では、田中が成長し、学生時代に初めて印刷の仕事を経験する様子を描く。